微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

道にしちゃったのがよくなかったんじゃないか

ネットの記事で「コーヒーのハンドドリップは日本人に向いている」というのを見た。お茶の世界のように"作法"を重んじるところが、日本人の性質にマッチしているというのだ。そこでぼくは思った。「ちょっとまって。じゃあお茶は???」。お茶の文化がある日本人がコーヒーのハンドドリップにハマりやすいのは分かる。でもじゃあお茶そのものはどうなってるか。コーヒーが日本の文化に浸透している一方で、お茶を飲む文化は現代日本に根付いているかというと微妙だ。「お茶でもどう?」とか言いながら、ぼくらが飲むのはコーヒーだったりする。コーヒーに300円出すことに違和感はないが、300円出して日本茶一杯を飲むのは考えられない。

 

なんか道にしちゃったのがよくなかったんじゃないかと思う。ぼくもお茶は好きだ。でも「茶道」と聞くと身構えてしまうし、「やり方がわからない」となってしまう。めちゃくちゃ昔の日本ならお茶を飲みながらお団子を食べたりするお店があったはず。でも今は「お茶」と聞くと格式高い文化を想像してしまう。茶道にしろ華道にしろだが、道にしちゃうと格式が一気に上がる。格式があがると同時に敷居も高くなってしまう。それは本当にお茶にとっていいことなのだろうか。

 

偉そうにお茶について考えてしまったが、もうちょいフランクでもいいような気がする。家で豆を挽いてドリップするみたいに、あのシャカシャカするやつで抹茶を家で飲む文化があってもいい気がする。オシャレなお兄さんが急須で日本茶を入れながらmacで作業してもいい気がする。道じゃなくていいよな。お茶飲みたくなってきたな。