微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

近所にカフェができてそこのチョコバナナシェイクが美味しい確率

田舎の小さな街に住んでいるのだけれど、駅前に小さなカフェができた。経営しているのはもともと街の別の場所でイタリアンレストランをやっているところで、そっちのお店も好きだったのでオープンするのをわくわくして待っていた。

一回目に行ったときはコーヒーとパニーニを注文した。パニーニなんてあんまり聞いたことなかったけど、イタリア版サンドイッチみたいなものらしい。どちらも美味しかったので、こんなカフェが歩いて行ける距離にできてラッキーと思っていた。

昨日、またカフェに行ってみることにした。2回目の訪問だ。ネットで見たら新しくチョコバナナシェイクなるものがメニューに追加されたらしい。チョコバナナ大好き人間のぼくにしてみればこんなチャンスを逃してはならない。出かけたついでに帰りに寄ることにした。

チョコバナナシェイク。めちゃ美味かった。なにこれ。今まで飲んだチョコバナナシェイクの中でもトップクラスに美味しい。そもそも「歩いて行ける距離にカフェができる」時点で前世でめちゃくちゃ徳を積んだんじゃないかと思ってたけど、「歩いて行ける距離にカフェができたうえに、そこのチョコバナナシェイクが最高」なんてことは、前世で徳を積んだどころか、前世で「蒸気機関を発明した」とか「活版印刷を発明した」とか「青色発光ダイオードを発明した」くらいの可能性があるかもしれない。それくらいラッキーだし幸福。本当に休みのたびに食べにいきたいくらいだ。

と思ったけど、青色発光ダイオードができたのは最近だから前世のおれじゃないわ。

 

庭は完成しない

多肉植物にハマると今度はそれを入れる「鉢」にこだわりたくなってくる、とはよく言ったもので、案の定多肉植物を入れるための「鉢」を買うべくホームセンターを行脚する休日を過ごした。おしゃれな缶のやつや、ブリキのやつ、小さな家をモチーフにしたかわいい鉢もあり、何個か衝動買いしてしまった。

こうなってくるのは今度は足りなくなってくるのは「棚」である。今まではもともとキッチンで使ってたラックをいらないからって庭で使ってみたらいい感じで、それを多肉用にしていたのだが、ここ最近の多肉鉢の増え方に、ついには「棚」が追いつかなくなってしまった。

そうなると思いつくのはDIYだ。YouTubeを見ると木材を買ってきて作る簡単な棚の動画がたくさんある。しばらく前にDIYをするべく買ったはいいものの、一回しか使ってないインパクトドライバーが物置の奥に眠っている。それを呼び覚まし、そろそろ「棚」というものを作るべきときが来たのかもしれない。

庭は無限だ。庭は完成することはない。完成したと思っても、その庭に生きる花は、草は、そして石や土は一日ごとにその姿を少しずつ変え、自らの役割を少しずつ終えて、そしてまた庭は次の始まりを待つ。人が庭を管理するなんておこがましいとすら思ってしまう。人も庭なのだ。ぼくも庭なのだ。

 

 

平安時代のHIPHOP

録画していた「フリースタイル日本統一」を最後まで観た。ラップおもしれえ。最後がFORK対呂布カルマになるのがアツすぎた。ラップバトルの真髄を観た気がした。

ラップバトルがそもそも不良の文化から生まれたのは分かるのだけれども、やってることはバリバリ文学だと思ってる。韻をベースに瞬時に文章を作る。ラップのシーンにそろそろ文学の畑の人が出てきたらめっちゃ面白いやんとか思ってる。

ぼくが百人一首で一番好きな歌は「大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立」という歌だが、これは歌の意味よりもこれが詠まれた背景がめっちゃ好き。この作者の小式部内侍は子どもながらにして歌人でもあるスーパー小学生みたいな人で、お母さんがこれもまた有名歌人和泉式部っていう人だったんだけど、ある日歌会に小式部内侍が1人で参加しようとしていると、すれちがった男から、「今日は1人で大丈夫ですか?もうお母さんから手紙は届いたの?」と言われたそう。つまり母のゴーストライターを疑われ、その手紙が届いたかと冷やかされたのである。そこで瞬時に返して詠んだのが「大江山」の歌だと言う。これは「いく野」の部分が「生野」という地名と「野を行く」がかかっており、さらに「ふみもみず」が「踏んだことがない」と「文(手紙)がない」がかかっている。そしてアンサーとして「(母のいる)天橋立には遠くて行ったこともないし、手紙も来てませんわよ」という意味も通っており、スーパーダブルミーニングラクル一首であり、これを瞬時に詠んだことで男は黙ってしまったという。これぞまさにHIPHOPであり、即興で生み出すトップオブザヘッド。素晴らしき平安のQ&A。スリルとスキルが詰まった瞬間の芸なのである。

センスは常に立ち上げとけよ

東大判定botというXのアカウントを昨日見つけて。どういうアカウントかっていうと、ネットに落ちてる面白い画像を貼って「おまえは東大に行け」っていう。このセンスの良さって凄い良いよね。プロフィール欄に「バカとブスに東大に行けっていうアカウントです」って書いてあったからそこを見れば誰でも意味はわかるんだけど、一個目のポストを見ただけでクスリとできた自分のセンスにおれやるやんって感じ。

大河ドラマを観ている途中にLINEが来たから「ゆえ」とか「お持ち申す」とか「なるやもしれぬ」とか使って返信したが、すべて華麗にスルーされた。人がふざけたらツッコめよな。マナーでありモラルだぞ。

そういえばバーベキューやってるときに誰かが持ってきた着火剤が活躍したので「こんだけあったかいと着火剤も買った甲斐があるよね」って言ったときも誰にも反応してもらえなかった。全部韻を踏んでるのに。油断すんなよな。

庭のおまけ

今日は庭にタープを張っておうちピクニックをした。天気も良くて、奥さんが作った料理も美味しくて最高だった。うちの庭はお金がなくて外構費用にお金を回せず、ひとまず駐車場のコンクリートと、芝生の施工と、簡単な花壇だけやってもらったのだが、それ以外は5年をかけて少しずつ少しずつ今の庭を作り上げていった。最初は土むき出しだった部分は防草シートを敷いて、その上に砂利を敷いて雑草対策をした。その両端は扇型に土の部分を残してそこに自分たちで草木を植えた。勢いで植えたユーカリは大きくなりすぎて業者さんに頼んで切ることになったけど、ハナミズキとコニファーは樹形を保ちながら育ってくれた。花壇の花は奥さんの担当。今年は仕込んでいたチューリップの球根が花開いた。そんな庭を眺めながらまったり食べるご飯が最高だった。とても感慨深い。ぼくは芝生を枯らしてしまったことに反省して1から芝生を勉強し、本腰入れて芝生管理を始めて3年目。今年は問題なく全体的に緑になってくれそう。庭は楽しい。庭の楽しさを覚えてしまったら、家なんておまけみたいに思えてしまう。