微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

SAKURA

f:id:bitansanshowyou:20240413234548j:image

f:id:bitansanshowyou:20240413235353j:image
f:id:bitansanshowyou:20240413234544j:image
f:id:bitansanshowyou:20240413234540j:image

 

 

この薄桃色の花びらは、なぜにこうも日本人の心を打つのか。

刹那的に花開き、そして僅かな風に散りゆくひとひら

数ヶ月ぶりに訪れた陽気の中で、春の主役は青空の下で咲き誇っていた。

ぼくらに春が始まることを教えてくれるように。

冗談を言うべきか否か

職場に新人が入ってきた。そんな彼と2人ででかけることになった。彼は大学を卒業したての22歳。なかなか年齢差がある。会話がもつか不安だったが、当たり障りない話から、なかなかいい感じで日常会話をすることができた。

そんな中で彼がぼくにこう聞いてきた。「高卒で職場に入ってくる人はいますか?」。ぼくは答えた。「最近は中途で入ってくる人のほうが多いけれども、何年かに1人は高卒でも入ってくるよ。去年はたしか高専から入ってきた子もいたよ」。ここでぼくは1つの考えがよぎった。

「呪術高専って言ったら面白いかな???」

瞬時に頭の中で計算をする。彼とぼくの年齢差、初めてガッツリ喋るという関係性、彼の人柄、冗談への耐性、ぼくの印象、天気、湿度、降水確率、花粉の飛び具合、洗濯物指数(後半はお天気情報だからほぼ関係ない)。そしてぼくは言った。

高専卒だから、20歳かなあ」

なんとか耐えた。本当は「呪術高専卒」って言いたかったけど。そもそもこれが面白いかどうか分からないけど。というわけでこの話を奥さんにしたら「絶対にやめなさい」と言われた。我慢してよかった。

ゴッホをゴッホにした人

ゴッホの絵は死後に評価されたと聞く。ということは、ゴッホゴッホにしたのは、ゴッホ自身ではなく、ゴッホゴッホにしたやつがいるってことだ。

なに言ってるか分かりづらいかもしれないけど、ゴッホの絵は結局ゴッホが死ぬ前も後も変わってないのに、生前はそれが評価されなくて、死後に評価されたということは、つまりはそれが「めっちゃええやん」と言った人がいたってことであり、その人がいなかったらたぶんゴッホは今のゴッホにはなってなくて、というかゴッホなんて人は知られることはなく、なんか「ひまわりの絵多いな」とか、この「自画像耳ないな」とかをなにげなく思われて終わりだったということだろうよい。

ゴッホゴッホにしたのは弟の嫁さんらしい。そもそも弟はゴッホの自殺とほぼほぼ同時期に死んでしまっていて、死後にゴッホと弟に関するやりとりを本にしたとかしないとか。そこから評価は高まっていってゴッホは現在のゴッホになっていったのだという。ゴッホも凄いけど、ゴッホゴッホにした人も凄い。けっこう真理だと思う。

書かれるべきできごとがない日

なにも思いつかない。机に座って20分ほどが経過した。なにか文章を書こうと思ってはてなブログの編集画面を開いて「記事を書く」を押したものの、書かれるべき文章がまるで思い浮かばない。今日一日のことをいくつか思い出してみるが、それが書かれるべきできごとかというと、そこまでのものではない気がする。「書かれるべきできごと」というものは往々にしてなにから書きはじめ、どう文章を繋ぎ、そしてどういうふうに文字を結ぶかが瞬間で浮かんでくるものだ。しかしながら今日はその「書かれるべきできごと」に出会わなかったのかもしれない。頭にはなにも浮かんでこない。

手の届く範囲に置いてあるいくつかの本を読んでみた。村上春樹の「村上さんのところ」という本を数ページ読んだ。そして村上春樹つながりで海辺のカフカの「上」を開いた。ぼくの好きな場面は第19章。女性二人組が図書館にやってきて女性の権利うんぬんを指摘しに来るところだ。初めて読んだときも好きだったし、今読んでもとても良い。なにが良いんだろう。誰かが論破されるのが痛快なのだろうか。

とりあえずある程度の文量を書いたので今日は終わり。まあいいでしょう。

兄妹(けいまい)

兄妹。お兄ちゃんと妹のことをこう書いて「けいまい」と読むらしい。正直あんまり聞いたことない。「おれたち兄妹(けいまい)は〜」みたいなセリフを聞いたことないし、耳馴染みなさすぎて「今なんて言ったの?」って聞き返しちゃいそう。

一方で姉と弟は「姉弟」で「してい」や「あねと」などと読むらしい。こっちもこっちで聞いたことない。兄弟や姉妹はよく聞くけど、他の2つは全然浸透していないのはなぜなんだろう。

兄弟のほうが内包するパターンが多いイメージがある。例えば3兄弟。中に女の子が混ざっていても3兄弟と呼ぶようなイメージがある。これが3人女の子が揃ったときに初めて「3姉妹」になると思ってる。つまり男の子と女の子が生まれてくる確率が同じ程度に確からしいときに、2×2×2の8通りの中で、「3姉妹」となる確率は1/8ということだ。とっても貴重なことである。世の中の「3姉妹」は誇っていいと思う。「4姉妹」はさらに貴重だし、「5姉妹」になったら記念品のクオカードとかもらったほうがいいと思う。非営利団体の姉妹認定団体みたいなところから。