微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

良くないものも悪くない

10月1日から再開したこのブログ。気づいたら11月に突入していて、約1ヶ月毎日更新したことになる。何回か反則すれすれのときもあったが、30回ほどブログを更新したのは事実なわけで、なかなかに誇らしいことだなと思っている。そんなわけで1ヶ月毎日更新して思ったことを書いてみたい。

 

毎日更新することはとくに目指していたことではない。10月1日、奇しくも消費税が10%になった日と同じ日から始めたことで、「ぼくがみなさんの2%を埋める」みたいな熱い気持ちがあったわけじゃない。ただ一回更新したら次の日も更新して、昨日も更新したのでせっかくだから今日も更新しようみたいな感じで1ヶ月経っていた。ただ結果的にだが、その感じがぼくにとってはすごく良いサイクルになっていたなと思っている。

 

というのも、例えばブログを書くときにどういう動機があるか。べつに毎日書かなくていいやとなったときに、じゃあいつ更新するのかというと「良い記事が書けたときに更新しよう」となると思う。ただぼくが思ったことは、「そうそう良い記事なんて書けない」ということだ。頭の中で良いアイデアを思いついたとする。これは誰も思いついてない最高のアイデアだと。それでせっせとブログを書き始める。そして書き始めて数行、自分で読み直すと「なんかちがうな」となる。そしてパソコンをそっと閉じる。

 

これってけっこうあるあるで、ぼくも前まではそんな感じで何回か更新をやめたことがあった。「うまくまとまらないな」とか「他の人が言ってそうだな」と感じて更新をしないことがあった。でも、毎日更新しようとするとそうも言ってられない。そんな最高の記事が書けなくても、いつの間にか23時45分くらいになっちゃうし、そうなると言いたいこともまとまらないし、画期的なアイデアなんてそうそう思いつかない。

 

ただぼくの出した結論は、「だが、それでいい」である。「でもそれじゃあ記事のクオリティが落ちないですか?」と思うかもしれない。でも安心してほしい。そもそもぼくらみたいな凡人に良い記事なんて書けない。それ専用の努力もしてなけりゃ、毎日のうのうと暮らしてるだけなのに、最高の記事なんて書けるわけがない。

 

ただ一方で思うのだ。「良くないものも悪くない」と。べつに最高の記事を書けなくても、適当に書いたアイデアの切れ端みたいなものでも、カタチにしてみると意外と悪くない。「良い」とは言えない。でも「悪くない」。それでぜんぜんべつにいいじゃんって思うし、逆にそれがすごくいいんじゃんとも思う。「悪くない」でいいなら、ブログも毎日更新できる。そして昨日まで毎日更新していれば、今日のブログも更新しようと思うことができる。そのサイクルってけっこう「悪くない」。

 

世界を塗り替えるものは作れない。でもインクのシミみたいなものを垂らすことはできるかもしれない。それを見て笑ってくれる人がいれば、ぼくの書く意味もあるのかもしれない。もしくは急に1億円をくれる人がいれば、ぼくの書く意味もあるのかもしれない。