昨日、帰宅時に家の玄関を開けると、足元に何やら動く物体を発見した。
よく見るとそれはなかなかに大きいカマキリだった。
油断もあったかもしれない。僕はそのカマキリの侵入を許してしまった。
しかしながら、カマキリだ。
これがGの名を持つあの生き物だった場合、僕の混乱は最高潮に達するだろうが、
相手はカマキリである。とりあえず落ち着いて対処すれば大丈夫。
と、僕は思っていた。
そのカマキリは速い
カマキリという虫を僕は誤解していた。
基本的にカマキリはパワー型の昆虫だと考えていた。
つまり、その両腕に所有する鎌型の武器の攻撃力は認めつつも、
しかしながら、その歩みは鈍いのだと認識していた。
基本的に相手の動きに合わせて目を離さなければ見失うことはない。
そう考えていたのも束の間、カマキリは猛ダッシュを仕掛けた。
速い。めっちゃ。
僕は彼を見失ってしまった。
そのカマキリは飛ぶ(とても頻繁に)
そのスピードに驚きつつも、再度玄関の棚の下を覗くとカマキリはそこにいた。
人間とは学習する動物である。
その進化は常に"学習"という能力によって支えられてきた。
僕は「カマキリは想像以上に速く動く」と学習している。
今後カマキリが再び猛ダッシュを仕掛けることはあるだろう。
それでも僕はそのスピードさえ想像することができる。
「想像してごらん? カマキリが結構速く動くことを」
丸メガネがそう囁く。
するとカマキリは驚くべき行動に出た。
飛んだ。
しかも飛ぶ、着地、ちょい移動、また飛ぶ、くらいの頻度。
そんな飛ぶっけ。カマキリ。
うそ・・・。
速さ×飛ぶ=恐怖
その後、震撼しながらもちょうど玄関にあったバドミントンのラケットで撃退した。
禁断のゴキジェットプロを噴射することも考えたが、言っても命。
バドミントンで進路を制限しながら、家の外に追い払った。
今回、僕は大きなことを学んだ。
それは、
人は虫の種類に恐怖するのでない。
人は虫の速さとちょっと飛ぶところに恐怖するのだ。
Gの名を持つ者がなぜ恐いか。
それは彼が「Gだから」に他ならないと僕は思っていた。
しかし僕が今回K(カマキリのこと)に感じた恐怖は、Gのそれと同種だった。
その恐怖の源は、まず想像以上に速く移動すること、そして急に飛ぶこと。
常に視界の中に"把握"できていれば、対処の仕様があるのだ。
しかし最大の恐怖はそれを見失うことである。
「そこにいるかもしれない」と思うことは日本におけるホラー映画と同じ。
そのため、速く、そしてちょい飛ぶことこそが、最大の恐怖に繋がるのだ。
問 筆者の主張に最も近いものは次のうちどれか
1:カマキリであろうがなんだろうが、速くて飛ぶやつは恐い
2:Gという呼び名が気に入ったので、途中からカマキリをKと呼び始めた
3:今回のカマキリは少し茶色かった
4:そういえばこの前も家にカマキリいた
5:丸メガネはさすがに失礼