微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

2019年を振り返らない

「2019年を振り返らなきゃなあ」と思っていた。ブログを再開して3ヶ月。年末のこの時期は振り返るのにもってこいの時期だ。しかし、振り返るにあたって生じる問題がひとつある。それは2019年を振り返るということはすごくめんどくさいということだ。

 

まず、2019年を振り返るということは、それがその年の総括になってしまうということだ。であるならば、総括にはやはりしっかり自分の思ったこととか、やってきたこととかをちゃんと入れていきたいという気持ちはある。しかし、普段から自分が思ったこととか、やってきたことを記録していないぼくからすれば、それを一つ一つ思い出すことはとてもめんどくさいことなのである。

 

しかもある程度思い出すことはできたとしても、どうしても何個かは漏れてしまうことだってある。例えば総括としてまとめたあとで、「あ、あれ入れ忘れてる!」と気づいたとして、本当はそれもやっていたのに、総括に入っていないのであれ、そもそもそれをやってないみたいになってしまう。それはとてももったいない。せっかくやったのに、そんなのやってないことと同じだ。「いや、本当はやったんですよ」と心で思っていても、「でも総括に入れてないじゃん。振り返ったときに入れてないじゃん」と言われたら何も言い返せない。

 

しかし、2019年を振り返っていなかったとしたらどうだろうか。たしかにこの一年いろいろなことを思ったり、行動したりしてきた。でもそれを一つ一つはっきりさせなきゃいけない理由なんてない。「なんかいろいろやったなあ」というのは、「なんかいろいろやった」からこそ良いのであり、同時に美しくもあるのだ。その輪郭の際までをはっきりと鮮明なものに近づけることはできるのかもしれない。しかし、そのすべてを正確に描写することは不可能なのだ。ぼんやりとした、水彩画で描いた風景のようにそこに記憶のぼやがかかっていることこそが、実は思い出というものをより深く心に刻みこむことを可能にするの、、、か? する、、、よね? する。。。よ。

 

思い出すのがめんどくさいから振り返るのはやめた。

記憶のぼやこそが思い出を思い出として鮮明にする。それをぼくは伝えたいのだ。