微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

手は止めるなよ

美容室に行くときは本を持っていく。以前はサッカーの、特にJリーグの話ができる美容師さんに髪を切ってもらっていたため、美容師さんとの会話をすこぶる楽しんでいたのだが、引っ越しをしてからというもの、初対面の美容師さんとまた一から関係性を構築するべく会話をするのが煩わしくなって、今の美容室にはいつも本を持っていってはそれをなむなむと読んでいる。

 

しかし私も鬼ではない。カットのときはともかく、カットが終わり一度シャンプーをしてもらった後の「微調整」の時間。その時間のみは再び本を手にすることはせず、多少の会話をするようにしている。

 

そこで美容師さんから私に問いを出題される。それはよい。私は回答する。ひとつふたつのユーモアを混ぜあわせながら、当たりも障りも決してない広く汎用性のある話をする。役割は果たしているだろう。何を生み出すではない、これはこの僅かな時間に蔓延ろうとしている沈黙に対するワクチンである。つまりは何かを喋り、そこに音さえあればいいという類のもの。二人の思いはひとつ。それはこの時間が沈黙のないままに終わること。その思いは共有できていた、と思っていた。

 

でもそこから、「いやー、そしたらその人がこうやって歩いてきて〜」と歩き方を再現しながら話を始める美容師さん。さっきまでチョキチョキ微調整をしていたその手はすでに私の頭から離れている。

 

それは違くない? いいよ、長尺の話には我慢するよ。でも手は止めるなよと。ここであなたが私を笑わせることはカットの料金には含まれていないのだよ。おれは毛髪の長さを減らすことにお金を払っているのだから。

 

つーわけで、次に髪を切るときがきたら、またその美容院にいく。その美容師さんの腕前は気に入っているから。