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微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

落語おもしろい

図書館で立川談志のCDを借りてきて、通勤のときに聴いてみた。

 

落語の「面白さ」とはなにか。「面白い」と聞くと、「ゲラゲラ笑える」ことを想像してしまうが、落語の「面白さ」ってそっちじゃない。確かにちょっとしたギャグも中にはあるけど、落語の「面白さ」は「凄さ」に近い。

 

喋っているのは落語家一人。しかしいざ喋り始めると、2人、3人がそこにいる。風景も見えてくる。江戸の風が吹いてくる。物語といえば物語だが、もっともっと一人称。それでかつ1人の中では終わらない。何人もの人の一人称。「聴いた」というより「味わった」とか「体験した」に近いものがある。それが落語の「面白さ」。「凄さ」であると思った。

 

あとなにより「オチ」がかっこいい。「サゲ」というのか。噺のピーク、最高潮のところで一言。さっとさりげなく。あんな「サゲ」を私もやりたい。

 

夢はどぞうの疲れだ。

総しくじり先生化

しくじり先生が面白い。オリラジあっちゃんの歴史のやつなんて特に面白くて、学校の授業もあんな感じでやってくれればと思った。

 

あれがなんで面白いって、興味がずっと続くからだと思う。「その理由は次のページ!」ってめくるとその答えが書いてある。こういうことがありました。なんででしょう。それはこうだったからです、の流れ。

 

学校の授業なんかはその逆で、用語が出てきてその説明、また新しい用語が出てきてその説明ばかりをやってる。それじゃあ面白くない。オチが分かってる話を聞いてるようなもんだ。

 

そういえば池上彰の本読んでるときも興味を持続させるのが上手いなあと思った。あの人もきっとしくじり先生だ。

サッカー

サッカーが楽しい。今の職場に入って、ものの数日でサッカー経験者ということがバレ、職場のサッカー部なるものに入れられた。聞けばほぼ経験者がいないらしく、小中高までやってるだけでエース候補だという。

 

てなわけで月に何回か試合に出場している。思えばサッカーの試合を楽しいと思ったことなんてあったかなと考える。部活のときはある程度真面目にやってて、とは言いつつ弱小チームだったのですぐに負けていたのだけれど、中途半端にプレッシャーがあったりして、まあそういう意味の楽しさはあったかもしれない。でも思い浮かぶのはミスしたときの罵倒とか、相手選手との小競り合いとか、無駄に厳しい監督の罵声とか、そういう類のものばかりで。今みたいにのほほんとサッカーすることってあんまりなかったなとか思う。

 

そして先日の試合の日。まあまあ遠いところまで遠征したものの、年功序列で試合に出れなかった。厳しい世界だ。