微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

人は庭で生まれ、庭で死んでいくのである

しばらくブログを書くのをストップしてしまっていたが、何をやっていたかと言うと庭をやっていた

 

私はというと、つい半年前ほどに家を建てたのだが、建設時に外構まで回せる資金がなかったのと、「まあ庭なんてあとで自分で花とか植えればいいだろ」と軽く考えていたこともあって、最低限の投資しかしていなかった。

 

そんなこんなで住み始め、まあ快適な生活を送っていたのだが、気になり始めるのは庭の雑草。「ああ生え始めたなあ」と思っていたのも束の間。数日の間に庭は雑草だらけ。気がついたときに嫁とせっせと草をむしるのだが、また数日後には元通りというのが繰り返される。生命力の強さ、「生きたい」という気持ちの強さを思い知るのである。

 

もういっそのこと雑草じゃなくて何か植えちゃえばいいんじゃね?ってことでいろいろと調べると「グランドカバー」なる植物があることを知る。なんでも土が出ている部分を隠しつつ、雑草が生えることも防止できるという。いまの私が求めていたものはこれだった。さっそく近所のホームセンターに行ってグランドカバー用の植物を何個か買ってきて植えた。

 

これが不思議なもので、ひとつ植物を買ってきて植えると、なんだかもっと植えたくなってくるのだ。なんなら雑草もきれいに抜きたくなるし、芝生の部分もきれいに芝刈りをしたくなる。というか何も用がなくても庭に出たくなってきて、逆に庭に出るためにやることを探すようになってくるのだ。

 

そんなわけで、現在のところ絶賛「庭ブーム」である。庭ブロガーになってしまうかもしれない。

同情しなくても金をくれ

「死ぬほど金が欲しい」

 

仕事中にふとそんなことを思った。しかしさらに思う。逆にいくらの金を手に入れたら、私は死ぬのだろうか。

 

1億円が急に私の銀行口座に振り込まれたとする。私は死ぬだろうか、いや死なない。「1億円が急に振り込まれている」とつぶやくだろう。しかし死ぬことはない。

では10億円が振り込まれていたら私は死ぬだろうか。やはり死なない。嫁を連れてレストランにでも行くだろうけど、死ぬことはない。

 

私はいくらの金を手に入れても死ぬことはない。

つまりいくらでもお金を手に入れても良いというわけだ。

お金をください。

 

 

 

 

ラジオはいつでもそばにいた

最近ラジオを聴く時間がない。理由はただひとつ。私の通勤時間が短くなっているからだ。

 

大学時代、私はラジオだった。ちょっと言い過ぎた。私はラジオ大好き少年だった。毎日深夜1時~4時までのラジオを聴き、通学時間は往復4時間弱の間、ポッドキャストを聴き続けた。当時、ネタ投稿をしてみたところ、バナナマンおぎやはぎアンタッチャブルカンニング竹山の番組で読まれたことはちょっとした自慢でもある。

 

社会人になり、深夜のラジオは聴けなくなったものの、往復2時間あった通勤時間で前日の録音を聴く毎日だった。お昼休みも10分でお弁当を食べ終え、散歩しながらラジオを聴くのが気分転換になっていた。

 

転職で地元に戻ってからは車通勤でラジオを聴いた。radikoで配信されるようになった番組を往復の1時間半で聴いた。さらに引っ越しをして、通勤時間は片道25分ほどになった。このころはすでに2時間番組をまるまるすべて聴くことはできなくなっていた。フリートークだけをなんとか毎日聴いていた。

 

そして今、家を建ててからは通勤時間は15分ほどになった。通勤時間が短いのは幸せだ。定時で仕事を終えた日はまだ夕方かって時間に家に帰ることができるようになった。

 

しかし、そこにラジオはいなくなっていた。通勤時間、ともに時を過ごしたラジオ。壊れかけてもいないラジオ。たかが15分のためにスマホを操作するのが面倒になった。

 

またラジオを聴きたい。散歩でも始めようかな。