「自由律俳句」というものがある。かつては伊集院光さんがハマっていたと聞いて少し興味を持ってはいたものの、なんとなくその良さがわからずにいたジャンルでもある。
Wikipediaによれば、
自由律俳句(じゆうりつはいく)とは、五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに重きが置かれる。
とあるのだが、なんとなくわかるようでよくわからない。自由律俳句の代表作が尾崎放哉の「咳をしても一人」らしいのだが、「まあ寂しい感じとかはわかるけど、手放しですごい!!というとそうじゃないかなー」感が抜けなくてもどかしさを感じていた。
ぜんぜん関係ない話で、「デイリーポータルZ」というサイトに面白い企画がある。それは「書き出し小説大賞」という企画。
書き出し小説とは、書き出しだけで成立したきわめてミニマムな小説スタイルである。
とある通り、小説を「書き出し」だけ書いて、その後の展開を想像したり、どういう物語なのかを想像したりして楽しむ企画だ。
その中でぼくが衝撃を受けたのが次の作品。
位牌はサコッシュに入れた。
「住民パワー」さんという方が投稿したこの作品。「位牌」という古めかしい言葉と、「サコッシュ」という新しめな言葉を一文に入れた文章。言葉にも「食い合わせ」のようなものがあるんだなと感じさせる違和感が素晴らしい。また、「サコッシュ」から連想される「スポーツタイプの自転車にまたがる少年」。それに対して、「位牌をどこかに急いで届ける必要があったのかな?」「渋滞等を考えたら車とか電車よりも自転車が一番早いからおれに任せろ的な状況なのかな?」という想像が止まらなくなる。
これを読んだときにぼくは「これが自由律俳句か!」と唸った。まあこれは本当は「書き出し小説」なのだけど。でもぼくにとってはこの作品こそが自由律俳句の魅力を存分に詰め込んだ作品だと感じ、「自由律俳句、悪くないじゃん!」と思ってしまったのだ。これは「書き出し小説」なのだけど。
この作品の良さについて語りたいが、たぶんこの感じがわかる人って、日本に2人くらいしかいないと思う。もしかしたらネパールに1人いるかもしれない。その3人で集まって語り合いたい。ネパールの公用語はネパール語らしい。その勉強はもうひとりに頼むか。