微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

百獣

小さな軽自動車の中は沈黙が流れていた。運転手の彼と助手席に座っている僕。どちらも言葉を発さない。僕にしてみれば何か会話をしてみてもよいのだけれど、なんとなく会話が続かなそうな予感がして、それならばと沈黙を続けている。運転手の彼は何を思っているだろうか。気まずさを感じているだろうか。まあよい。僕は頭の中でRIP SLYMEの楽園ベイベーを口ずさんだ。常夏の楽園ベイベー、ココナッツとシャンシャインクレイゼー。

「あのー」

運転手の彼はその小さな声で僕に話しかけてきた。なんだ、こいつも気まずさを感じていたのか。僕は少しばかりの期待をしてその次の言葉を待った。

「ライオンって百獣の王じゃないですか。じゃあシマウマって百獣の何ですかね」

「百獣ってぜんぶに役職あんの?」

「ないんですか?」

「あんですか」

 

あんですかあ?

文芸誌作りたい

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本屋に文芸誌が売っていたので買ってみた。上質な紙となかなかのボリューム。これで300円なのだから凄い。中身はエッセイや小説など。気軽に読めるので楽しい。こんな文芸誌を作ってみたい。エッセイだったらなんとかなる気がする。誰か作ろうよ。

 

 

 

近所にカフェができてそこのチョコバナナシェイクが美味しい確率

田舎の小さな街に住んでいるのだけれど、駅前に小さなカフェができた。経営しているのはもともと街の別の場所でイタリアンレストランをやっているところで、そっちのお店も好きだったのでオープンするのをわくわくして待っていた。

一回目に行ったときはコーヒーとパニーニを注文した。パニーニなんてあんまり聞いたことなかったけど、イタリア版サンドイッチみたいなものらしい。どちらも美味しかったので、こんなカフェが歩いて行ける距離にできてラッキーと思っていた。

昨日、またカフェに行ってみることにした。2回目の訪問だ。ネットで見たら新しくチョコバナナシェイクなるものがメニューに追加されたらしい。チョコバナナ大好き人間のぼくにしてみればこんなチャンスを逃してはならない。出かけたついでに帰りに寄ることにした。

チョコバナナシェイク。めちゃ美味かった。なにこれ。今まで飲んだチョコバナナシェイクの中でもトップクラスに美味しい。そもそも「歩いて行ける距離にカフェができる」時点で前世でめちゃくちゃ徳を積んだんじゃないかと思ってたけど、「歩いて行ける距離にカフェができたうえに、そこのチョコバナナシェイクが最高」なんてことは、前世で徳を積んだどころか、前世で「蒸気機関を発明した」とか「活版印刷を発明した」とか「青色発光ダイオードを発明した」くらいの可能性があるかもしれない。それくらいラッキーだし幸福。本当に休みのたびに食べにいきたいくらいだ。

と思ったけど、青色発光ダイオードができたのは最近だから前世のおれじゃないわ。

 

庭は完成しない

多肉植物にハマると今度はそれを入れる「鉢」にこだわりたくなってくる、とはよく言ったもので、案の定多肉植物を入れるための「鉢」を買うべくホームセンターを行脚する休日を過ごした。おしゃれな缶のやつや、ブリキのやつ、小さな家をモチーフにしたかわいい鉢もあり、何個か衝動買いしてしまった。

こうなってくるのは今度は足りなくなってくるのは「棚」である。今まではもともとキッチンで使ってたラックをいらないからって庭で使ってみたらいい感じで、それを多肉用にしていたのだが、ここ最近の多肉鉢の増え方に、ついには「棚」が追いつかなくなってしまった。

そうなると思いつくのはDIYだ。YouTubeを見ると木材を買ってきて作る簡単な棚の動画がたくさんある。しばらく前にDIYをするべく買ったはいいものの、一回しか使ってないインパクトドライバーが物置の奥に眠っている。それを呼び覚まし、そろそろ「棚」というものを作るべきときが来たのかもしれない。

庭は無限だ。庭は完成することはない。完成したと思っても、その庭に生きる花は、草は、そして石や土は一日ごとにその姿を少しずつ変え、自らの役割を少しずつ終えて、そしてまた庭は次の始まりを待つ。人が庭を管理するなんておこがましいとすら思ってしまう。人も庭なのだ。ぼくも庭なのだ。

 

 

平安時代のHIPHOP

録画していた「フリースタイル日本統一」を最後まで観た。ラップおもしれえ。最後がFORK対呂布カルマになるのがアツすぎた。ラップバトルの真髄を観た気がした。

ラップバトルがそもそも不良の文化から生まれたのは分かるのだけれども、やってることはバリバリ文学だと思ってる。韻をベースに瞬時に文章を作る。ラップのシーンにそろそろ文学の畑の人が出てきたらめっちゃ面白いやんとか思ってる。

ぼくが百人一首で一番好きな歌は「大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立」という歌だが、これは歌の意味よりもこれが詠まれた背景がめっちゃ好き。この作者の小式部内侍は子どもながらにして歌人でもあるスーパー小学生みたいな人で、お母さんがこれもまた有名歌人和泉式部っていう人だったんだけど、ある日歌会に小式部内侍が1人で参加しようとしていると、すれちがった男から、「今日は1人で大丈夫ですか?もうお母さんから手紙は届いたの?」と言われたそう。つまり母のゴーストライターを疑われ、その手紙が届いたかと冷やかされたのである。そこで瞬時に返して詠んだのが「大江山」の歌だと言う。これは「いく野」の部分が「生野」という地名と「野を行く」がかかっており、さらに「ふみもみず」が「踏んだことがない」と「文(手紙)がない」がかかっている。そしてアンサーとして「(母のいる)天橋立には遠くて行ったこともないし、手紙も来てませんわよ」という意味も通っており、スーパーダブルミーニングラクル一首であり、これを瞬時に詠んだことで男は黙ってしまったという。これぞまさにHIPHOPであり、即興で生み出すトップオブザヘッド。素晴らしき平安のQ&A。スリルとスキルが詰まった瞬間の芸なのである。