微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

サッカーの審判はめちゃくちゃ大変な仕事だ

この前サッカーの審判をした。草サッカーの、公式戦でもない試合、ましてや20分ハーフくらいの、遊びの遊びの遊びみたいな試合。自分のチームの試合が終わったあとで、一応関係ないチームの人が審判をやるということで、ぼくが次の試合の審判になった。

 

途中までは普通にピッピピッピ笛を吹いていたが、急にその場面は訪れた。一方のチームの選手がペナルティエリア内で相手の選手を倒してしまった。倒れた選手、そしてそのチームメイトは一斉にぼくのほうを見て「PKだ!」と叫んだ。ぼくはと言うと、PKは取らなかった。「ドリブルの進行方向がゴールに向いておらず、得点機会の阻止と明確には言えない」みたいな理由じゃない。あんまり見てなかったのと、ちょっとめんどくさかったからだ。

 

それでも倒れた選手のチームからは色々と言われた。「どう考えてもPKだろ!」「ありえないでしょ!」。なんなら倒したほうのチームも「あれはPKだったよな笑」と言っていた。この場合は生半可な気持ちでやっていたぼくが80%くらい悪いのだが、でも「そんなに言わなくてもいいじゃん」という気持ちにもなった。審判の人って大変だなと。

 

 

今日、Jリーグの審判の人の記事を読んだ。彼は去年のJリーグで明らかにラインを割ったシュートを「ノーゴール」と判定してしまった審判だった。その映像を観たとき、ぼくも「いや、めちゃくちゃ入ってるじゃん」と思ったことを覚えてる。

 

しかし、その記事で特に印象に残ったのは、以下の部分。

 

試合が止まっている間にも「ゴールだったのかもしれない」と感じていました。ただやっぱり審判は見えてないものを判断できないんです。周りからどんなに何か言われても、最終的に信じられるのは審判団の仲間だけなんですよ。だから「入ったんだろう」では判定を変えることはできなかったですね。

 

彼はそのシュートがラインを割った瞬間を目で捉えることはできなかったと言う。周りは「入った」と言っている。観客席で見ているファンは同時に行われる中継映像でその「ノーゴール」を確認している。でも自分は「見ていない」。だから「ゴール」にはできない。

 

その「地獄」が簡単に想像できてしまって辛くなった。「見ていない」ことはミスだったのだろう。審判は「見る」のが仕事なのだから、それを見逃したのはNGなのだろう。でも、あんなに強いシュートを、しかもいつ撃つかも分からない、選手もゴール前にいっぱいいる状態で、それをぜんぶ「見る」ってのが簡単じゃないことはぼくでもわかる。

 

ぼくみたいにちょっとめんどくさいからPKにするのをやめちゃった人間が言うのもなんだが、審判は本当に大変な仕事だ。審判がいないとサッカーはできない。なのにサッカーファンが「その審判クビにしろ!」なんてやってたら、だれもやってくれる人なんていなくなってしまうだろう。だれもいなくなったらぼくがやってあげてもいい。だけどPKはとらない。めんどくさいから。あとやり方もよく分からないから。それでもいいと思える人だけが、審判を批判して欲しい。

 

 

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