微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

映画「火花」の感想

映画「火花」を観た。監督は板尾創路さんなんだね。とてもきれいな映像が多くて美しかった。以下、少しネタバレあり

 

★★★

 

この映画を観て、ぼくは原作である小説に感じていた仮説のようなものが確信に変わったように感じられた。この映画はいろいろな取捨選択をしながらも、物語としては小説に忠実に作られている。しかし、だからこそ感じてしまったこと。それはこの又吉直樹の小説「火花」にとって、「物語」は登場人物「神谷」の台詞を綴じている紐でしかないということだ。

 

小説版の「火花」を読んで感じたのは、「神谷」という人間の台詞の力強さだった。まるで作者である又吉直樹が心の底で叫んでいるかのような文章。その一つ一つに大きな「思想」があり、心を揺さぶる何かがあった。この小説が「純文学」と呼ばれるのはそれも理由の一つだろう。作者の魂のこもった台詞によって表現されるものが、この小説の「芸術性」なのであり、ある意味でこの小説の「すべて」だった。誤解を恐れずに言えば、この小説にとって「物語」は大きな意味を持っていない。この「神谷」に様々な台詞を叫ばせるために「物語」はあり、それを聴かせるために主人公がいた、そんな小説だと思わされた。

 

だからこそ、一つの映画として観るとこれは少し物足りない。なぜならば物語に忠実ではあっても、神谷の台詞をすべて映画に入れ込むことは不可能だからだ。神谷を演じた桐谷健太も徳永を演じた菅田将暉も素晴らしい演技であったことは確か。しかしながら、映画によってこの作品を表現し尽くすのは難しかったように感じられた。それほどまでにこの小説は、小説だからこそ輝いて、小説だからこそ美しかったのだ。