読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

ぼくは沈黙がこわい

改めて、自分は人と喋るのが苦手なのだなと実感する。

気の知れた友人とならいくらでも喋ることができる。というより、気の知れた友人と喋るのは好きだ。「何を喋ろう」と意識しなくても言葉が次から次へと出てくるし、「言っちゃダメ」なことがないので、口に出す言葉に気をつける必要もない。

でも少し距離が遠くなるともうダメ。特に沈黙が苦手だ。2秒でも3秒でも話の間があいてしまうと「なんか話さなきゃ!」ってなって焦ってしまう。そうなるとがんばって話題を探して、「これは話していいことなのか」「これを今話すのはおかしなことか」と考えてしまい、ますます間が開いて変な感じになる。

いつのことだか、喫茶店でコーヒーを飲んでいるときに、隣のテーブルに座ったおばちゃんたちの会話が耳に入ってきたことがあった。それを聴いたときにぼくは愕然とした。この人たちは会話に間をまったく作らないのだ。確かに言ってることのひとつひとつは大したことではない。でも誰かが喋ると次の誰かが付け足して、誰かが黙るとすかさず空いた間を誰かが埋めるように喋り出す。

バルサのパスサッカーだ」とぼくは思った。FCバルセロナが欧州を席巻した時にしていたのは究極のパスサッカーだった。「ボールを奪われなければ負けない」というコンセプトを基にショートパスをこれでもかと繋いで常にボールを持ってゲームを支配する。

そのパスサッカーをこのおばちゃんたちの会話に見た。大きなロングパスなんていらないように、超面白い一言なんていらない。「喋り続ければ負けない」をコンセプトにひたすら会話を繋いで場を支配する。バルサのサッカーはドトールに存在したのだ。

とは言っても喋り続けるのは案外難しい。どこかで「これは通じないかな」と言うリミットがかかってしまう。あのおばちゃんたちに弟子入りしたい。そしてぼくも究極のパスサッカーを会得したい。

 

グアルディオラのサッカー哲学

グアルディオラのサッカー哲学