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微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

「好きな映画」は「優れてる映画」じゃない

先日、友人と会ってきた。

その友人は学生時代、漫画家を志して勉強をしており、現在は似顔絵で生計を立てている。彼は映画を観るのが好きだった。2014年は劇場で60本以上の映画を観たという。そんな友人とファミレスで談笑してきたのが凄い楽しかった。

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はじめは彼から「おすすめの映画」を聞いていたのだが、「おれとお前は好みも違うし、おれが好きな映画をお前に素直におすすめできないんだよなあ」と言われた。確かにぼくと彼では好みも違うし、彼は学生時代から何百本も映画を観ているのに対して、ぼくは単純な趣味として月に1本とか観る程度だ。

そこからお互いの好きな映画の話になったのだが、思えば「好きな映画」って「優れてる映画」じゃない。ちょっと前までは一丁前に映画の良し悪しを偉そうに語ろうとした時期もあったのだが、それから少し大人になった今、それが凄くカッコ悪いことだと思い直した。

結局のところ、ぼくの「好きな映画」とは「おれの映画」だ。いや、べつにぼく自身を題材にした映画があるわけじゃない。ぼくに1年間密着して、「Documentary of 微炭酸のしょう油 〜少女たちはしょう油まみれで踊り狂う〜」という映画があるわけじゃない。要はその映画のある部分に対して「これっておれのことじゃん!」と思える映画が、ぼくの中では「好きな映画」になっているということだ。

例えば「ソーシャルネットワーク」という映画がある。

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この映画、一見するとFacebookを作ったマーク・ザッカーバーグの成功ストーリーのように見えるが、ぼくにはそう映らなかった。冒頭で主人公のマークは恋人のエリカにこう語りかける。「どうしたらハーバード大学で目立てるか?」と。そして恋人に対して「勉強はみんな満点だし、ぼくは運動はできないし、特別なコネがあるわけでもないし」とまくし立てる。そこから彼は実際にFacebookを作って、それは大成功し、大金持ちになっていくのだが、一方で恋人とは別れ、友人には裁判で訴えられる。

ぼくは「ソーシャルネットワーク」をこう観た。「モテないやつが自分の理論でどうしたらモテるかを考え出して成功したのに、結局誰にもモテてない」という映画だと。そしてこれこそが学生時代の自分と全く一緒だと思った。「うわー、これおれだ!」と。ぼくは彼のように人生で大成功を収めたわけではないのだが、高校時代に1つのことを頑張ればみんなが認めてくれると思ってた。それは結果、大成功に終わったのだけれども、何かが変わるわけではなかった。劇場で観た「ソーシャルネットワーク」のラストシーンがとても悲しく映ったのは、今でも覚えてる。


映画に対して「良い映画」とか「悪い映画」って語る風潮はあるし、確かに完成度とか良し悪しっていうのもあるのだろう。でも映画で本当に楽しいのは「好き」や「嫌い」で映画を語って、それを他人と共有することなんじゃないだろうか。少なくともぼくは漫画家の友人とそれを語り合って凄く楽しかった。そこにはお互いの意見に対しての否定はない。「なるほど、そこが嫌いなんだ」とか「そこが重なったから好きなわけね」とか、映画のみを観るのではなく、「映画×観る人間」という掛け算がとても面白いんだなあと思い知った。


ちなみに高校時代はモテたくて学園祭で映画を撮った。全然モテることは無かったが、校長にちょっと褒められた。