微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

同情しなくても金をくれ

「死ぬほど金が欲しい」

 

仕事中にふとそんなことを思った。しかしさらに思う。逆にいくらの金を手に入れたら、私は死ぬのだろうか。

 

1億円が急に私の銀行口座に振り込まれたとする。私は死ぬだろうか、いや死なない。「1億円が急に振り込まれている」とつぶやくだろう。しかし死ぬことはない。

では10億円が振り込まれていたら私は死ぬだろうか。やはり死なない。嫁を連れてレストランにでも行くだろうけど、死ぬことはない。

 

私はいくらの金を手に入れても死ぬことはない。

つまりいくらでもお金を手に入れても良いというわけだ。

お金をください。

 

 

 

 

ラジオはいつでもそばにいた

最近ラジオを聴く時間がない。理由はただひとつ。私の通勤時間が短くなっているからだ。

 

大学時代、私はラジオだった。ちょっと言い過ぎた。私はラジオ大好き少年だった。毎日深夜1時~4時までのラジオを聴き、通学時間は往復4時間弱の間、ポッドキャストを聴き続けた。当時、ネタ投稿をしてみたところ、バナナマンおぎやはぎアンタッチャブルカンニング竹山の番組で読まれたことはちょっとした自慢でもある。

 

社会人になり、深夜のラジオは聴けなくなったものの、往復2時間あった通勤時間で前日の録音を聴く毎日だった。お昼休みも10分でお弁当を食べ終え、散歩しながらラジオを聴くのが気分転換になっていた。

 

転職で地元に戻ってからは車通勤でラジオを聴いた。radikoで配信されるようになった番組を往復の1時間半で聴いた。さらに引っ越しをして、通勤時間は片道25分ほどになった。このころはすでに2時間番組をまるまるすべて聴くことはできなくなっていた。フリートークだけをなんとか毎日聴いていた。

 

そして今、家を建ててからは通勤時間は15分ほどになった。通勤時間が短いのは幸せだ。定時で仕事を終えた日はまだ夕方かって時間に家に帰ることができるようになった。

 

しかし、そこにラジオはいなくなっていた。通勤時間、ともに時を過ごしたラジオ。壊れかけてもいないラジオ。たかが15分のためにスマホを操作するのが面倒になった。

 

またラジオを聴きたい。散歩でも始めようかな。

 

 

 

何書くか忘れた

今日、朝にひとつ、帰り道でひとつ、「これはブログに書こう」と思っていたアイデアを忘れてしまった。アイデアと言っても、しっかりと結論まで考えていたわけでもなくて、「こんな感じのことを書こう」くらいのレベルなのだけども。

 

この場合、このアイデアを取り戻すために精一杯思い出すべきなのか、それとも忘れてしまったということは「その程度のアイデアだった」とすんなりと諦めるべきなのか。ここはブログ書きの悩むところでもある。

 

仮にアイデアを思い出すのを頑張ったとしよう。そもそも人間が忘れてしまったアイデアを取り戻すなんて簡単にできることではない。『千と千尋の神隠し』で銭婆が「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」みたいなことを言っていたが、今の私からすれば「いまそういうのいいから」である。

 

逆にすんなりと諦めるとしよう。そうするとまた新たにアイデアをひねり出さなくてはいけなくなる。これまたとても面倒くさい。そもそもブログなんて誰に強制されたわけではなくて、自分の趣味で好き勝手書いているだけにもかかわらず、やっているとどうも毎日書かなくてはいけないという義務感に襲われることがある。誰も読んでないのに。誰も読んでないのか。とてもショックである。今日はもうやめた。

 

 

 

お金の使い方で人生は決まっていくといっても過言ではないのだ

栃木SCというサッカーチームを応援しているということで、栃木SCに関するメルマガに登録しようかどうしようかを少し悩んだ。悩みの原因はというと、その値段にある。月額650円ということで、ひと目見たときに「高い」と私は感じてしまった。

 

しかしながらそこでもう少し考えてみる。この前嫁が自動販売機で麦茶を買ったときにこんなことを言っていた。

「こんなの自分で作ればほぼ無料なのにね。3本買っちゃったら450円だよ。なんだかばからしいね」

確かにそのとおりである。仮に一日一本職場で飲み物を買うとしよう。150円×20日として3000円である。その瞬間は150円しか払わないものの、一ヶ月で考えると3000円になる。しかも飲み物なんて特に自分に残るものでもない。あの日はコーラを飲んで、あの日はスポーツドリンクで、なんて覚えているわけでもない。一瞬の喉の渇き、いやそれすら存在しないなんとなくのクセみたいなもので買ってしまうもののために、月にすれば3000円のお金がなくなっていくのだ。

 

そう考えるとメルマガの月額650円はどうなんだろうか。情報は間違いなく自分に残るものだし、実際に栃木SCの試合を観るときにさらに楽しめると考えれば、それこそお金を払う価値はあるのではないか。

 

金持ちはお金の使い方が上手いと言う。

私は金持ちになったら自宅にわたあめメーカーを買いたい。

 

 

 

運転の上手さって早く目的地に着くことじゃないよね

常々思っていることなのだが、車でノロノロと法定速度で走っていると「運転が下手」だと言われるのはなぜだ。

一方で、タクシーの運転手。仮にも「運転のプロ」とも言える彼らが、往々にして運転が荒いのはなぜだ。

 

「運転の上手さ」とは、なにか。基本的に私は運転するときにはほとんどリスクを侵さない。法定速度はできるだけ守りたいし、一時停止はしっかり止まりたいし、黄色信号になりそうならばゆるりとブレーキを踏んでしまいたい。しかしながら、世間一般の「運転上手い」というのは、ある意味で「速く目的地に到達できる」という点を評価しているように思えてならない。

 

しかしながら思う。「運転の上手さ」とは「安全に目的地に到着する」ことが一番なのではないか。素早い車線変更をして一気に速度をあげる。「はっはっは、抜かしてやったぜ」と言わんばかりの"いかにも"な車が世には蔓延っているが、いやいやちょっと待てと。

 

仮にもその運転テクニックとやらを駆使したとして、私らとの時間の差はどれほど生まれようか。10分?20分?そんなわずかばかりの時間を「得した」と思い込んでいる彼らが、その数分を生むためにすり減らした神経や集中力は果たしてリターンに見合うコストであろうか。

 

算数を勉強しろ。