微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

芝刈りにデメリットはない

芝を刈った。今のお家に引っ越してきて、初めて芝を刈った。職場の先輩の話で、「2週間に1回は刈らないとすぐ伸びる」やら「毎週刈ってるよ」やら、いろいろ聞いてはいたものの、いざ自分でやろうと思うとなかなか重い腰が上がらず、"夏"と呼ばれる季節になってもう2ヶ月近くが経ってしまった。

 

そんなだから芝の状態は最悪だった。「ああ、こういう草むらからコラッタやらポッポやらが"とびだしてくる"んだなあ」と思わずにはいられないほど、ぼくの芝は伸びきっており、そんな状態だからますます気持ちは重くなっていた。

 

そんな中で、家で家族やら親戚やらを呼んでパーティをやることになった。もうそうなるといよいよ芝をなんとかせねばならない。ぼくは親から「芝用バリカン」借りてきた。なんでもオランダに引っ越す友だちからもらったらしい。実家には芝なんてないのに。ひとまずそれを手にして、その青々と伸びきった芝に刃を入れた。そのときの絶望ったらない。そう、芝用バリカンでは狙った一箇所しか刈ることができず、労力に対して全然刈れる範囲が狭いのだ。例えるなら学校の授業でまあまあ集中して話を聞いてたと思ったのに、まだ5分しか経ってなかったみたいなもの。「いやこれ無限じゃん」と思って、私は「芝用バリカン」をそっと地面に置いた。

 

やっぱ必要なのはちゃんとした芝刈り機なのだ。というわけでホームセンターに行ってちゃんとした芝刈り機を買ってきた。電動だとなんか恐い&高価ってことで、手動のやつにした。「刃の調整のいらない」やつと「そうじゃない」やつが売ってたので、1000円しか変わらないならってことで「刃の調整のいらない」やつにした。意味はまったくわからなかった。

 

そんでもって家で簡単に組み立てていざ芝刈り開始。そこで私は2度めの絶望を思い知る。芝刈り機が全然前に進まないのだ。原因はひとつ。芝が伸びすぎていたから。最初は不良品を掴まされたと思って、ホームセンターへ憤怒していたが、よくよく思えば車輪が地面に届いていない。たぶんこれはメーカーさんが想定していないほどの長さなのだ。つーわけで私は落ち着いて少しずつものごとを進めることにした。

 

1.まずバリカンで刈った一部分へ手動の芝刈り機を持っていく

2.その「ちょっと刈れている部分」を使って勢い良く加速する

3.未開拓ゾーンへと侵入して芝をかる

 

この手順に沿って手動の芝刈り機を進めると、なんとか少しずつだが芝刈りができていった。手動芝刈り機はまったくもって不良品ではなかった。なんならちゃんと普通の長さの部分を走らせるとスムーズに芝の長さを借り揃えられる。神じゃん。神がかつて使った7つの道具のひとつじゃん。私はこれを"神具"と呼ぶことにした。

 

というわけで、上記の手順で作業を進めること3時間。ひとまずボッサボサの状態からは脱することができた。3畳~4畳ほどのスペースの芝でこんなにかかると思わなかったが、おそらくこれは想定外の長さだったから。次回からはこの神具で長さを借り揃えられると思う。

 

そんなこんなで嫁に芝刈りが終わったので観てもらった。嫁も以前の惨状を知っていたので、まあまあ褒められた。よく考えたら運動にもなるし、日光にも当たって汗もかくし、没頭できるし、少し楽しいし、「芝刈りにデメリットなくない?」と嫁に言ったら、「芝が伸びていることがデメリットじゃん」と言われた。

 

そうか。

 

 

 

「野球のバッターだって3割打てれば一流」という理論が気持ち悪い

「野球のバッターでも3割打てれば一流なんだから」

よく聞く言葉だ。でもふと思ったけど、これってなんか気持ちが悪い。

 

野球のバッターが3割打てれば一流。だからそんなに成功率が高くなくても良いっていうことの例えだと思うけど、でも野球のバッターが3割で良いのは「150キロ近いピッチャーの球を打ち返す」という場合だけであって、例えば野球のバッターが3割の確率でしか1塁に走らないで、あとは違う方向に走るかもしれないっていうのだとすごく困るだろうと思う。

 

何が言いたいかっていうと、「いまバッター関係なくない?」ってことであって、確率の話のときになんでもかんでも野球のバッター出されても、それは違う話じゃないですかってなってしまう。

 

なので、確率の話のときに野球のバッターで例えるのはもうヤメにしましょう。バッターだっていちいちネクストバッターズサークルで待ってるのもしんどいだろうし。

 

なあ、しんどいよなあ?

 

 

文庫本の醸し出す熱

この前、Jリーグ栃木SCの試合をスタジアムに観に行ったときのこと。あの日は灼熱だった。午後6時キックオフではあったものの、試合開始前の練習を観たり、スタジアムの雰囲気をゆったり味わうためにはもう少し早く行かなきゃいけないということで、4時半くらいにはスタジアムに到着した。

 

まだ太陽が沈まない時間であり、屋根もない観客席で座っていたらそれこそ死んでしまうということで、私たち(弟と一緒に来た)は日陰でかき氷でも食べながら時間を潰すことにした。

 

そこで目に止まった人に私は少しかっこよさを覚えてしまった。それは日陰ではあるものの、灼熱の外で一冊の文庫本を読む男性の姿だった。腕まくりをし、日陰で地べたに座り、汗だくになりながら一人、カバーを外した文庫本を読む男性。それが文庫本だったのがまた良い。古本屋に行けば100円から買えて、それでいて一冊を読み終えるのにはある程度の時間を要する。その意味では文庫本とは世界で最も安価で時間を潰すことのできる娯楽だ。それゆえに醸し出すのは無骨さであり、泥臭さであり、加えてチャラチャラとおちゃらけていない頭の良さも感じられた。雑誌でも、漫画でも、ハードカバーでも駄目だ。それが文庫本だったからこそ、そこにあった景色は風景として完成していたのだと思う。

 

おしゃれなカフェでコーヒーを飲みながら、ハードカバーのお気に入りの小説を静かに読むのも良い。しかしその対極にあったあの風景もまた、小説の読み方としては最高にロックでかっこいいものだった。

 

私も文庫本で小説を読もう。もちろんカバーは外して。

0.5の優しさ

職場の帰り道、霧雨が降る中で、なかなか変わらない信号を待っている職場の女性に会った。「お疲れ様です」とは挨拶はするが、それ以上の会話はかわなさいくらいの関係性の同僚だ。

 

少しだけ強くなった雨。私は右手に傘を持っていたが、それを差すことはしなかった。理由はひとつだった。同僚の女性が傘をもっていなかったからだ。

 

なんとなしに目線を外して立っていると、同僚の女性が私に聞いた。

「傘、差さないんですか?」

私は答えた。

「だって、差しづらいじゃないですか」

 

一人で傘を差してしまうと、「なんであの人、女の子が濡れてるのに自分だけ傘差してるの?」と思われるし、かといって「これ使ってください」と自分の傘を差し出すほど、私は純粋な優しさを持ち合わせていない。

 

ならば共に濡れる道を選ぼう。それが私の優しさだ。

1には満たない、0.5の優しさなのだ。

 

 

当たらせる人

二日間、研修ということで職場の同期と一緒に講義を受けてきた。グループワークを間に挟んだりもしたが、基本的には喋りたがりの先生のよう。白髪交じりの頭と、微妙に膨らんだ腹。典型的なおじいちゃん先生はひとつのことを伝えるのにとんでもなく時間を使うってことで、全体的に話を聞いている時間がとんでもなく長かった。

 

昼休みが明けたとき、先生が何やら謎の袋を前のグループの机に差し出した。どうやら中には大量のアメが入っているらしく、生徒は自分の分をとると、その大きな袋を次の生徒に渡していく。私の番が来た。私はその中のひとつを取ると、ペンケースからマジックを取り出してそこに「あたり」と書いて袋に戻した。しばらくすると後ろの方の席から「なんか当たったんだけど!」と聞こえてきた。

 

ふっふっふ。当たらせたのは私だ。