微炭酸のしょう油

やわらかいところ、刺してもいいですか?

プールクエスト

プールに通ってる。最近引っ越して近くに市営のプールがあるので何回か行ってみたのだがこれがいい。昔もスイミングスクールに通っていた私。「顔を水につけることができる」から始まり、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ、ドラゴン、ケロベロスリヴァイアサンと順調に泳ぎを泳いでいき、「最後のとびら」で入手できる「アルテマの水晶」を手に入れたのが小学校6年生のとき。それ以来のプールである。

 

なんだかんだで真剣に泳ぐのは久しぶりで、けっこう疲れるものだ。3往復くらいするともう息が上がる。生物はもともと海から生まれたというのに。つーわけで泳ぐレーンの横の歩くレーンに行ったりしてぷかぷかやってみたり。

 

ネットで調べるとプールはとても健康に良いと書かれている。なんなら百害あって一利なしの逆の「百利あって一害もなし」くらい良い事ばかり書かれている。やれ体力がつくやら、筋肉がつくやら、リラックスできるやら、MPが回復するやら、ここでしか手に入らないアイテムが手に入るやら。

 

なんかRPG要素が多い。

昼休み

職場の昼休み、することがない。前の会社ではラジオを聴きながらそこらへんをぷらぷら歩くのが好きだったのだが、今の職場では周りに人がいなさすぎて散歩してると目立つことからなかなか外を出歩けない。

というわけでiPhoneのメモ帳でも使ってブログでも書くかーと思ってメモアプリを開いてみたら、知らぬ間にメモアプリが凄いことになってる。

紙の質感みたいのが表現されてるし、PCとも同期できる。そんでもってなんかペンみたいの押したら絵も描けるようになってた。特に凄いのが定規。ボタンを押すと定規が出てきて、自由自在に回転。そして定規にそって指をしゅっとやると直線が引ける。直線を引いてこんなに感動したことはない。あとラインマーカー。ただの太い線ではなく、半透明。まるでラインマーカーを引いてるかのよう。定規と組み合わせると直線も引ける。直線のラインマーカーを引いてこんなに感動したことはない。

感動をありがとう。

手は止めるなよ

美容室に行くときは本を持っていく。以前はサッカーの、特にJリーグの話ができる美容師さんに髪を切ってもらっていたため、美容師さんとの会話をすこぶる楽しんでいたのだが、引っ越しをしてからというもの、初対面の美容師さんとまた一から関係性を構築するべく会話をするのが煩わしくなって、今の美容室にはいつも本を持っていってはそれをなむなむと読んでいる。

 

しかし私も鬼ではない。カットのときはともかく、カットが終わり一度シャンプーをしてもらった後の「微調整」の時間。その時間のみは再び本を手にすることはせず、多少の会話をするようにしている。

 

そこで美容師さんから私に問いを出題される。それはよい。私は回答する。ひとつふたつのユーモアを混ぜあわせながら、当たりも障りも決してない広く汎用性のある話をする。役割は果たしているだろう。何を生み出すではない、これはこの僅かな時間に蔓延ろうとしている沈黙に対するワクチンである。つまりは何かを喋り、そこに音さえあればいいという類のもの。二人の思いはひとつ。それはこの時間が沈黙のないままに終わること。その思いは共有できていた、と思っていた。

 

でもそこから、「いやー、そしたらその人がこうやって歩いてきて〜」と歩き方を再現しながら話を始める美容師さん。さっきまでチョキチョキ微調整をしていたその手はすでに私の頭から離れている。

 

それは違くない? いいよ、長尺の話には我慢するよ。でも手は止めるなよと。ここであなたが私を笑わせることはカットの料金には含まれていないのだよ。おれは毛髪の長さを減らすことにお金を払っているのだから。

 

つーわけで、次に髪を切るときがきたら、またその美容院にいく。その美容師さんの腕前は気に入っているから。

井の中の蛙大海を知らなくても

井の中の蛙大海を知らず」という言葉がある。

 

これ、「小さな井戸で満足して、大きな海を知らないダメなカエル」みたいな意味で使われているが、ふと思う。果たして大海を知る必要は本当にあるのか、と。

 

仮にこのカエルくんが井戸から出たとしよう。山を超え谷を超え、そして辿り着いた大きな海。「これが海か。これがその大きな海なのか」と感動に涙を流していると、後ろから一声。

 

「それ、東シナ海だよ。海としてはそこまでの大きさではないよ。海としてはね」

 

なんて言われたらどうだろうか。とてもムカつくだろう。そもそもこのカエルはどこ出身のカエルだったのか。九州地方かな? 知らねえけど。

 

そんなわけで、わたしがカエルなら井戸から出たくない。その井戸の中が幸せならば、その井戸こそが、カエルにとっての大海なのだ。

 

知らねえけど。

おふろ

引っ越しをしてからというもの、毎日お風呂に入っている。

 

前のアパートはと言うと、紹介してくれた不動産屋さんからも「あそこのお風呂に浸かるのは勇気がいる」と言われるほどで(ひどい言われよう)、このマンションに決めたのもお風呂が大きかったからというのが理由のひとつだ。

 

お風呂では本を読んでいる。最初はゲームの「ポケモン」を極めた人たちのインタビュー集をよんでいたのだが(よくよく考えたらなんじゃこりゃ)、読み終わってしまってからというもの、今では軽くお風呂で読むための本を探す毎日。

 

こうやって思うと、本にはお風呂に適した本と適さない本がある。上に書いたポケモンインタビュー本はお風呂に適した本だ。理由としてはインタビューが章ごとに分かれているので、没頭しすぎてのぼせることがないし、文章が会話で構成されているのでとても読みやすい。逆に適さないのは小説の類。過去にヘルマン・ヘッセの「車輪の下」をお風呂で読みきったことがあるが、ラストは読み終わるまで湯船から出られなかったし、小説のテイストからひどい喪失感に襲われたことを覚えている(単純に水分を喪失していただけかもしれないが)。

 

つーわけで、お風呂で読むための最適な本が欲しい。ベストはポケモンインタビュー集の続編を買うことだろうか。